独立
イベント会社として独立するとき
決めること・揃えるもの
独立の相談で最初に出てくる質問は、たいてい「法人にすべきか個人事業主か」です。しかしその問いは、答えを出すのが一番あとでいい問いです。先に決まっていないといけないのは、誰からどうやって仕事をもらうのか、そして入金までの間を何で食いつなぐのかの2つです。
結論
イベント制作会社としての独立で決めるべきことは、大きく①何屋として立つのか ②仕事がどこから来るのか ③お金がいつ出ていつ入るのか ④誰とやるのか ⑤事故が起きたとき何で守るのかの5つに整理できます。開業の事務手続きは、この5つが決まったあとに付いてくる作業です。本記事は2026年10月時点の情報です。
独立の前に、自分が何を売るのかを言葉にする
イベント制作は守備範囲が広い仕事です。企画も、進行も、会場手配も、演出も、当日運営も、すべて「イベント制作」と呼ばれます。会社に所属しているうちは、守備範囲は会社が決めてくれていました。独立するとそれを自分で決めなければなりません。
ここが曖昧なまま動き出すと、見積の作り方も、断る仕事の基準も、名刺に書く肩書きも決まりません。まず次の3つを、人に説明できる長さで書き出してください。
- 01
引き受ける範囲を書く
企画から当日運営まで通しで受けるのか、進行管理だけを受けるのか、特定の形式(展示会、カンファレンス、式典など)に絞るのか。受けない仕事を先に決めると、範囲が明確になります。
- 02
誰の課題を解くのかを書く
事業会社の広報・マーケティング部門なのか、代理店の下請けとして入るのか、自治体や団体なのか。相手によって、求められる書類も、支払いサイトも、意思決定の速さも変わります。
- 03
選ばれる理由を1行で書く
「安い」は独立初期に最も危険な理由です。価格で選ばれると、価格で切られます。経験のある形式、持っている人脈、動ける範囲、対応の速さなど、価格以外の理由を1つは言語化してください。
Point
範囲が広いほど強そうに見えますが、独立直後は逆です。「何でもやります」は、相手の記憶に残りません。思い出してもらえる状態になることが先で、範囲を広げるのはそのあとでも遅くありません。
事業の形を決める
個人事業主で始めるか、法人を作るかは、独立の最初に悩む論点です。ただしどちらが得かは、売上の見込み、取引先の要件、将来やりたいことによって変わります。一般論で決められるものではないため、ここでは判断に使う材料だけを並べます。
| 論点 | 確認すること | どこで確認するか |
|---|---|---|
| 取引先の要件 | 法人としか契約しない相手がいるか。見込み客に直接聞く | 見込み客・既存の人脈 |
| 税金の扱い | 所得の見込みに対してどちらが有利か | 税理士、国税庁の案内 |
| 社会保険 | 加入義務と保険料の扱いがどう変わるか | 年金事務所、専門家 |
| 設立の手間と費用 | 登記にかかる費用と期間 | 法務局、司法書士 |
| 信用の見え方 | 口座開設、オフィス賃貸、採用のしやすさ | 金融機関、不動産会社 |
注意
税務・社会保険の取り扱いは個別事情で変わります。開業届、青色申告の承認申請、インボイス(適格請求書発行事業者)の登録などは、提出先・期限・要件がそれぞれ異なり、年度によって制度変更もあります。期限と要件は必ず国税庁の案内で確認し、判断に迷う部分は税理士に相談してください。この記事では具体的な期限や要件を断定しません。
インボイス登録を「する/しない」の考え方
登録するかどうかは、取引先が課税事業者かどうか、取引先が仕入税額控除をどう扱うかに影響されます。制度の適用関係は複雑なため、自分のケースに当てはまるかは国税庁の案内と税理士で確認してください。ここでやるべきことは、見込みの取引先に「登録事業者であることを求めますか」と事前に聞いておくことです。相手の要件が分かれば、判断材料がひとつ減ります。
仕事がどこから来るかを設計する
独立初期に最も多い失敗は、前職の人脈から1〜2件の仕事をもらえる見込みだけで独立してしまうことです。その1件が終わったあと、次の入口がありません。独立前に、入口を複数本考えておいてください。
- 前職・取引先からの直接受注:最も速いが、競業避止や引き抜きの扱いに注意が必要(後述)
- 代理店・制作会社からの外注:営業の負担が軽い。ただし単価と裁量は相手に握られる
- 同業からの応援・パートナー案件:繁忙期に人手が足りない会社は常にある
- 会場・施工・機材など周辺業者からの紹介:主催者から「誰か知らないか」と聞かれる立場の人たち
- 自分の発信:サイト、実績紹介、登壇。効き始めるまで時間がかかるため、早く始めるほどよい
前職との関係の整理
退職前に、就業規則や雇用契約に競業避止義務・秘密保持義務の定めがあるかを自分で確認してください。定めの有効性や範囲は個別の事情で判断が分かれるため、取引を始める前に弁護士に確認するのが安全です。「みんなやっているから」で進めると、独立初年度に最も避けたいトラブルを自分から呼び込むことになります。
- 就業規則・雇用契約書の競業避止条項を読んだ
- 秘密保持の対象(顧客リスト、見積の内訳、進行資料など)を確認した
- 持ち出してよい資料とそうでない資料を区別した
- 前職の顧客に接触する場合の線引きを決めた
- 判断に迷う点を専門家に相談した
人脈は資産だが、持ち出してよい資産とそうでない資産がある。線を引くのは自分の仕事。
お金が回るかを自分で計算する
イベント制作は先に払って、あとで入ってくる仕事です。会場費、機材費、外注費、人件費が先に出ていき、請求は実施後になることが多い。独立前に、この時間差に耐えられるかを数字で確認してください。
必要な運転資金の考え方
ここでは相場を示しません。自分の数字を入れて計算する手順だけを示します。前提と式を明記します。
- 01月の固定費を出す:生活費+事務所・通信・ソフト・保険など、売上がゼロでも出ていく額を合計する
- 02立替が発生する期間を出す:案件の着手から入金までの月数。「実施月の翌月末入金」なら、着手が3か月前なら約4か月
- 031案件あたりの立替額を出す:自分が先に払う外注費・会場費などの合計(前受金を取れるならその分を引く)
- 04掛け算する:必要な運転資金 =(月の固定費 × 立替期間の月数)+(同時に走る案件数 × 1案件あたりの立替額)
Point
この式の答えが、独立前に用意しておくべき現金の最低ラインです。数字は人によってまったく違うため、ここに例を書いても意味がありません。自分の固定費と、想定する案件の立替額を入れて計算してください。答えが貯金を超えるなら、独立の時期を遅らせるか、前受金を取れる契約形態にするか、立替の少ない受け方(人工での参画など)から始めるかの判断になります。
前受金・中間金を交渉する
立替の負担を減らす最も直接的な方法は、支払いを分割してもらうことです。契約時に次のような分け方を提案できます。相手の社内規程で難しい場合もあるため、見積提出の段階で切り出すのが現実的です。
- 契約時に一部、実施後に残額
- 契約時・中間・実施後の3分割
- 外注費など実費の大きいものだけ先に立て替えてもらう(主催者直払いにする)
- 会場費や機材費は主催者名義で直接契約してもらう
自分の単価を自分で出す
「いくらで受ければいいか」は独立者が最も知りたいことですが、相場を聞いて真似をするのは危険です。相場は、その人の固定費、稼働できる日数、案件の種類を反映した結果であって、あなたの数字ではありません。次の手順で自分の数字を出してください。
- 01
年間に必要な売上を出す
年間の固定費(生活費+事業の経費)に、納める税金・社会保険、将来のための留保を足します。必要売上 = 年間固定費 + 税・保険 + 留保。ここで生活費を切り詰めた数字を入れると、あとで苦しくなります。
- 02
実際に稼働できる日数を出す
365日から、休み、営業・事務にかかる日、見込みで埋まらない日を引きます。イベント制作は本番前後に稼働が集中し、閑散期が必ずあるため、ここを楽観すると単価が低く出ます。
- 03
1日あたりの最低額を出す
必要売上 ÷ 稼働可能日数 = 1日あたりの最低額。この額を下回る仕事は、受けるほど資産が減ります。
- 04
案件ごとに工数を見積もる
打合せ、企画、資料作成、各種手配、リハーサル、本番、精算、報告。本番の日数だけで見積もると必ず赤字になります。見えない工数を日数に換算してください。
- 05
リスクの幅を乗せる
仕様変更、天候、追加対応。工数見積に対する上乗せ率を自分で決めて、その根拠を説明できるようにしておきます。
注意
この手順で出た金額が市場で通らない場合、値下げではなく、範囲を狭めるか、工数を減らす方法を考えるのが先です。値下げは一度やると戻せません。
体制と守り
ひとりでは回らない部分を先に決める
本番は一人では回りません。独立の時点で、当日に手を借りられる人と自分が倒れたときに代われる人を考えておいてください。人の集め方と役割の切り方はイベントスタッフの手配、役割分担はイベントの体制と役割が参考になります。
揃えておくもの
- 屋号または社名、ロゴ、名刺
- 事業用の銀行口座(個人の口座と分ける)
- 請求書・見積書・発注書のひな形
- 契約書のひな形(専門家に確認したもの)
- 会計の方法(ソフトか税理士か)と、領収書の保管ルール
- 連絡先と実績を載せたWebページ
- 見積の算出根拠を残すフォーマット
保険と事故への備え
イベントは、人と物が動く現場です。来場者のけが、設備の破損、中止・延期による損害。どこまでを誰が負うのかは、契約書と保険の両方で決まります。保険の種類と必要な補償内容は事業の内容によって変わるため、保険会社や代理店に自分の業務内容を説明して設計してもらってください。契約上の責任範囲の決め方はイベント業務委託契約を参照してください。
Point
「契約書を交わさずに口頭で進める」習慣は、独立初期に最も高くつきます。相手が良い人かどうかは関係ありません。担当者が代わったとき、認識の違いが出たときに、書いたものしか残らないからです。
最初の1年で起きること
独立後の1年目は、仕事の内容そのものより仕事以外に時間を取られることに驚く人が多くいます。会社にいたときは誰かがやっていた作業が、すべて自分に戻ってきます。先に知っておくと、計画に織り込めます。
想定しておく作業
- 営業と見込み客の管理:問い合わせ対応、提案、見積、フォロー
- 経理:請求、入金確認、支払、領収書の整理、確定申告の準備
- 契約の管理:契約書のやり取り、押印、保管、更新時期の把握
- 外注の管理:発注、進捗確認、検収、支払
- 自分の発信:実績の整理、サイトの更新
- 学習と情報収集:会場や機材、制度の変化を追う
これらは売上を直接生みませんが、時間は確実に使います。単価を計算するときに「稼働可能日数」からこの分を引いておくのは、このためです。
波の大きさに備える
イベントは季節性があり、案件が集中する時期と、問い合わせが途切れる時期があります。どの月に集中するかは扱う分野によって違うため、一般論ではなく自分の案件で記録してください。1年分の記録が取れると、翌年の資金繰りと営業の計画が立てられるようになります。
- 月ごとの売上と入金日を記録している
- 月ごとの稼働日数(実働)を記録している
- 問い合わせが来た月と、受注に至った月を記録している
- 案件ごとの見積工数と実績工数の差を記録している
最初の1年で判断しないこと
1年目は、比較する対象がないため判断を誤りやすい時期です。単価が適正か、分野を絞るべきか、人を増やすべきかといった判断は、数字が溜まってから行うほうが精度が上がります。1年目にやるべきことは、判断ではなく記録です。
1年目に必要なのは決断ではなく記録。判断材料は、あとから自分の数字でしか作れない。
相談先を先に作っておく
ひとりで判断しなければならない場面が増えます。判断の前に聞ける相手を、分野ごとに持っておいてください。会社にいたときは、総務や法務や経理が担っていた機能です。
| 分野 | 相談先の例 | 先に相談しておくこと |
|---|---|---|
| 税務・会計 | 税理士、税務署の相談窓口 | 記帳の方法、必要な届出と期限の確認 |
| 契約・法務 | 弁護士 | 自社の標準契約書と、競業避止の確認 |
| 社会保険・年金 | 年金事務所、社会保険労務士 | 加入の要否と手続き |
| 保険 | 保険会社・代理店 | 業務内容に合う補償の設計 |
| 資金 | 金融機関、公的な支援窓口 | 運転資金が必要になったときの選択肢 |
| 実務 | 同業の先輩、業界団体 | 業界の慣行、業者の情報 |
注意
困ってから探すと、間に合いません。特に契約と税務は、問題が起きてからでは選べる手段が減ります。独立の準備段階で、一度ずつ相談しておくことを勧めます。
この記事の要点
- 法人か個人事業主かは最後に決めてよい。先に決めるのは「何を売るか」と「仕事の入口」。
- 運転資金は式で出す。月の固定費×立替期間+同時案件数×立替額。相場を調べても意味がない。
- 単価は必要売上÷稼働可能日数から自分で出す。他人の相場を真似しない。
- 競業避止・秘密保持は独立前に自分で条項を読み、迷う点は弁護士に確認する。
- 開業・税務・社会保険の期限と要件は断定情報を鵜呑みにせず、国税庁の案内と専門家で確認する。
FAQ
よくある質問
自分が何を売るのかを言葉にすることです。企画なのか、制作・進行なのか、特定の分野のイベントなのか。それが決まると、法人か個人事業主かといった事業の形、仕事がどこから来るか、単価、ひとりで回らない部分を誰に頼むかが順に決められます。お金の面では、入金までの期間を見込んだ運転資金を自分で計算しておいてください。
売上の見込み、取引先が法人格を求めるか、社会保険や税の扱いをどうしたいかで変わるため、一般論では決められません。まず見込みの取引先に「個人事業主とも契約しますか」と確認し、税と社会保険の扱いは国税庁の案内と税理士で確認してください。判断材料が揃えば、どちらが自分に合うかは見えてきます。
金額は人によって違うため、本文の式で計算してください。月の固定費に立替期間の月数を掛け、同時に走る案件数と1案件あたりの立替額の積を足した額が、最低ラインの目安になります。前受金を取れる契約にできれば、必要額は下がります。
就業規則や雇用契約に競業避止義務・秘密保持義務の定めがある場合があります。定めの有効範囲は個別事情で判断が分かれるため、接触する前に条項を自分で読み、迷う点は弁護士に確認してください。顧客リストなど前職の資料を持ち出すことは、別途、秘密保持の問題になります。
入口を1本に頼らないことが重要です。前職・取引先からの直接受注、代理店や制作会社からの外注、同業の応援案件、会場や施工など周辺業者からの紹介、自分の発信の5方向を同時に考えてください。発信は効き始めるまで時間がかかるため、独立前から始めるのが有利です。
金額の大小にかかわらず、範囲・納期・支払条件・中止時の扱いを書面で残すことを勧めます。小規模な案件では発注書と仕様書で代える方法もあります。ひな形は一度弁護士に確認してもらい、以降はそれを使い回す形が現実的です。